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キャラクター論

さらに、人の性格・人格について。就職活動をした人間なら、誰もが通る自己分析というものがある。あれをやると、なおさらよくわかるのだが、結局短所や長所というのは表裏一体だ。善悪というものは相対的な評価にすぎないといえば、何だか大げさだが、時と場合によって長所にもなるし短所にもなるというのが正解だろう。機敏で行動的で仕事がテキパキと早いといえば、長所っぽいがそういう人間は得てして短気だったりもする。

たまに人の良い所しか見えないという人がいるが、いつも不思議に思う。良い所が見えていれば、同時に悪いところにも気付けているはずだ。無意識の内に、悪いところに気がつかないようにしているか若しくは、良い所が見えていると勘違いしてしまっているだけではないのか。単に視野が狭いだけかもしれない。もちろん、歌が上手いとか死ぬほど運動能力が高いとかの技能的な長所とかなら話は別だが。長所短所と呼ぶのでややこしいが、性格的特性・傾向と言えば分かりやすいか。

逆をいうならば、欠点が見えれば長所も見えてくるわけだ。前提として感情的になっていなければという条件はあるが。感情的になっていれば、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。長所も長所に見えなくなってくる。一つの性格的な特徴を長所短所の二面的に捉えることで、人格という形の無いものも、立体的になってくる。フィクションなどを例に挙げれば尚更分かりやすいかもしれない。

長所ばかりがピックアップされて、取ってつけたような短所しかないキャラクターというのはやはり共感しにくいというか、キャラクターが薄っぺらく感じてしまう。しっかりと連動した長所短所が表現されていて初めて、キャラクターに厚みが出るというか人間的な魅力が出てくるように感じる。

性格や、キャラクターというのはどういう風に把握するのが正解なのか。やはり長所、短所という一点を絶対的な形でピックアップするよりは、相対的な適正という形で捉えるのが正解なんだろう。良き人、悪き人というのは幻想ですべては適正の問題と考えれば尚更分かりやすいか。

金庸の小説のキャラクターを使って具体的な例をあげよう。例えば『射雕英雄伝』に黄蓉というヒロインがいるが、少女時代は頭が良くて気が強くて主人公を引っ張っていく可愛いキャラだったのが結婚して母親になったとたん教育ママになり、やたら身内びいきで子供を甘やかして駄目にしてしまう糞女と化してしまう。だがしかし、そこに人格的矛盾は無い。好き嫌いがハッキリしていて主人公に強烈な恋心を抱く姿は可愛いが、その愛情が子供に向かうと甘やかし過ぎて子育てを誤る結果となる。主人公の郭靖は、純朴で誠実なキャラクターだが、そのせいで騙されやすかったり、恐ろしく頑固で融通が効かなかったりする。どこまでも、公明正大な人格者に成長するが、それは同時に身内に対しても別け隔てなく厳しい事も意味する。郭靖は人物としては、社会的にだれからも尊敬される偉大な人間ではあるけれども、子供にとっては無償の愛を注いでくれるような優しい父親では無く、厳しすぎる感がある。これもまた、適正の問題だろう。

何事にも囚われないキャラクターというのは、逆を言うなら組織などには馴染めないキャラクターだし、誰に対しても優しい人間というのは、優柔不断で意志薄弱とも取れる。割と金庸の小説には、人格的な長所短所がはっきりしている主人公が多い。だからこそ、恐ろしいほどキャラクターが登場するのにも関わらず主人公が一番魅力的でいられるのだろうと思う。

フィクションですら、人間的な魅力を出すために表裏一体の長所と短所を持たせているのにいわんや現実の人物をや。長所だけ、短所だけしか見ないというのは悪いフィクション的な人物の捉え方の逆輸入だと思う。
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by trial-6 | 2010-08-21 14:47 | 雑記

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・信長の野望・創造(ゲーム)
・SimCity(ゲーム)
・獣電戦隊キョウリュウジャー(特撮)
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・ONEPIECE(漫画)
・シグマフォース(小説)

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